受講生を信じていますか?
「その人のために助けになるキッカケになれば」
そう思って講師をしますが、落とし穴もあります。
その人を応援するためにしている講座。
だけど、応援を期待と履き違えている僕がいました。
受講生に期待をするときは、
こちらの要求を押し付けているとき。
「こうなってほしい」「こうしてほしい」
この気持を持ったまま講座をすると、
受講生を「僕の思う正解」に導くことになります。
僕が思う講師像ではありません。
理由は「相手を信じていない」ということだから。
この人にはできる!
どんな道を選択しようと、
必ずその人らしい最高のゴールにたどり着く
と信じきれていないと、導きたくなります。
心配や不安も、
相手を信じきっていないときに生まれやすく、
相手をコントロールしたくなる衝動に駆られます。
まずは目の前の人を信じたい。
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どんなときに導きたくなりますか?
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僕がついアドバイスしたり、導きたくなるときは
3つの理由がありました。
1つ目は、前述したように相手を信じきれていないとき
2つ目は、自分のほうがその分野において知識も経験もあると錯覚しているとき。
3つ目は、この人のために役にたたないと「自分の存在価値」が揺らぐと思っているとき。
とくに3つ目は、相手のためという皮をかぶせた、自分のための講座になっています。
自分の欲求を満たし、自分の自己肯定感を上げるための授業。
これって参加者に何かを求めることになるので、相手からエネルギーを奪う作用が働きやすくなるなと思うんです。
期待をするのではなく、信じる。
期待をするのではなく、与える。
そんな選択を大切して講座に臨みたいですね。